カモメの鳴き声で目が覚める。
海が近い。なんとなく嬉しい。
ベッド上には白い帆を広げた船が描かれている。
海の景色、海のある景色、海、が好き。
ノルマンディー海岸の海賊のまちにいる。 アイスランドまで2100km。
その昔、敵船なら襲撃してよいという許可を得て栄えたまちの海賊は
今では縮んだ小さくなるか、
お菓子を守る役に徹している。
英国•デンマーク軍が攻めてきたり、ノルマンディー上陸作戦が展開されたりした
激しいれ歴史をもつ海岸は
私のノルマンディーのイメージ通り。
どこを切り取っても寒々しい。それでいい。
冷たい風が吹く先に砦がある。
カモメの歩いていく背景にはゴシック調の寺院。
永井荷風の「ふらんす物語」とともに旅をしている。
100年前に書かれたフランスをうつす彼の文章は例えばこんなかんじ。
”遥か空のはずれ、白い夏雲の動くあたりに突然エイフェル塔が見えた。
汽車の窓の下には青い一帯の河水が如何にも静かに流れている。
その岸辺には繁った木葉の重さに疲れたと云わぬばかり、
夏の木立が黙然と水の上に枝を垂れている。 人が幾人も釣をしている。鳥が鳴いている。
流れは木の繁った浮洲のような島に幾度か分かれては又合する。
自分は車中に掲示している地図によって、これがセイヌ河であると想像した。”
永井荷風がフランスを訪れていた頃、パリは文学と芸術の中心地で
シャガールにピカソにモディリアーニにヘミングウェイが 歩き回った今まさにその場所にいる。
映画「ミッドナイト イン パリ」そのままに 「あの時代に生まれていれば…」
とため息をつきたくなる。
今はその残像みたいなカフェがあるだけ。(ミーハーにもそこにはいく)
フランスのイメージは世界中に飛び散っている。
だから何を見ても初めてのかんじがしない。
ミロのビーナスもエッフェル塔もカフェもノートルダム寺院のてっぺんの悪魔さえも
再会したという気持ち。
寺院のてっぺんからパリのまちを監視し続ける愉快な悪魔たちは他にもいる。
まだイメージ化されてマグネットやランチョンマットになっていない
像たちもいることを発見して一安心。
イメージ化の及んでいない(少なくとも私は知らない)フランスのイメージは
ちょこちょこみつかる。ちょっと嬉しくなる。
ノートルダム寺院の前にぶらさがる靴。
巨大な機械の中に迷い込んだようなデザインの駅。
5000年以上前からみつめあい続けるエジプトのカップル。
大庭園の夕暮れ。
夕暮れを300年近くみつめてきた神話の住人たち。
ちょっと古めかしい永井荷風の文章が似合う:
”黄昏は稍(やや)薔薇色の光沢(つや)を失い、何処からとも知れず
青みがかった色が添わって来る。対岸の小山や人家の屋根は背面から受ける
明るい空の光に対して、何とも云えぬ程鮮やかな輪郭を示す、
と同時に、 急流の面はその渦巻く波紋の色々に、眩いばかり煌(きら)めき出し、
その辺にまだ釣りしている人の影は造った像の様に動かずじッとしている。”
でも一番みつけて嬉しかったのはパリのとある美術館の トイレのドアにあったこのメッセージ。
全ての人に届いてほしいこのメッセージを女性限定の場所から
ここにうつします。